こんにちは!ぴょんきちです。
浅草といえば、仲見世通りでの食べ歩きなどが観光客に人気です。
また、せっかく浅草寺に行くなら「雷門」も見逃せませんよ!
今回は、浅草寺の雷門に隠された秘密を徹底解剖します。
雷門の歴史や見どころを紐解いていきましょう。
- ①「雷門」は通称だった
- ②雷門には別名があった
- ③雷門とパナソニックとの深い関係
- ④かつては「雷門前」という駅が存在した
・浅草寺の雷門:浅草寺を守る神々
- ⑤雷門を守る「風神雷神」
- ⑥実は裏側にも2体の像があった!
・浅草寺の雷門:日本で最も有名な提灯
- ⑦雷門のシンボル「大堤灯」
- ⑧大提灯の底からパワーを感じよう
- ⑨大提灯は実は1つだけじゃない
浅草寺の雷門:知ってるようで知らない雷門のキホン
浅草寺の雷門は、日本国内ではもちろん、海外からの旅行客にも人気の観光スポットになっています。
浅草のシンボルとして親しまれている雷門ですが、実はあまり知られていない部分もあります。
雷門の基本からチェックしていきましょう!
①「雷門」は通称だった
浅草寺の総門である入口にたたずむ門は、「雷門」として人々に親しまれています。
しかし、実は雷門は通称で、正式名称を「風雷神門」といいます。
雷門に向かって右側には「風神の像」、左側に「雷神の像」が安置されているため、「風雷神門」と名付けられました。
それがいつしか時ともに省略され、「雷門」と呼ばれるようになりました。
その証拠に大提灯の裏側に回って見てみてください。
大提灯の裏側には、ちゃんと「風雷神門」と書かれているのが見られますよ☆
②雷門には別名があった
創建当初の雷門は、現在の駒形堂付近に建っていました。
当時は「山門」や「総門」と呼ばれていました。
駒形堂付近に建てられていたのは、かつては「浅草寺境内への入口」とされていたからです。
参拝者は渡船で隅田川を渡り、まずは駒形堂へ詣でてから総門(山門)をくぐりっていました。
現在の仲見世通りがある「掛見世(かけみせ)」を通って、観音堂(本堂)を目指していたのです。
③雷門とパナソニックとの深い関係
雷門の大提灯は、日本の電器グループ「松下電器産業(現:パナソニック)」と深い関わりを持っています。
1960年、松下電器産業の創設者である松下幸之助氏は、ひざの関節痛に悩んでいました。
そこで、ひざの治癒を願うために、浅草寺に参拝に行きました。
この話を偶然にも耳にした当時の貫首(かんす)清水恭順氏が、特別に御本尊にご祈祷をしたそうです。
すると翌年、不思議なことに、松下氏のひざの関節の痛みは嘘のように消え去ったのです。
そのお礼として、松下氏が95年前に焼失してそのままだった雷門の再建と、大提灯を浅草寺に奉納したのがはじまりでした。
その縁が続き、今も大提灯の下には、松下電器産業の創設者である松下幸之助氏の名前が刻まれています。
現在は松下氏が行った大提灯の寄進は踏襲され、その意志を受け継いだパナソニックによって10年ごとに奉納されています。
④かつては「雷門前」という駅が存在した
実は、明治初頭には雷門前に「鉄道馬車」の駅が設置されていました。
雷門前を出発する鉄道馬車は、「雷門〜新橋」間で運行していました。
鉄道馬車とは、馬に車両を引かせた鉄道のことをいいます。
レールの上を走る乗合い馬車として、当時の人々の移動手段でした。
今と変わらず雷門が多くの人で賑わい、信仰の場所とされていたことが伺えますね。
浅草寺の雷門:浅草寺を守る神々
続いて、浅草寺を守る神々について紹介します。
有名な風神雷神と、もう2体の像を見ていきます。
⑤雷門を守る「風神雷神」
雷門に向かって右側に「風神」、左側が「雷神」が安置されています。
風神とは「風を司る神」、雷神とは「雷を司る神」のことです。
風神は、青い肌の神様で、一方雷神は赤い肌の神様と対照的です。
風神雷神は、浅草寺を風や雷、また、水害や火災から守るための神でした。
それが時代と共に、人々の五穀豊穣への願いや風水害・火災への恐れも結び付き、信仰に繋がっていきました。
風神雷神像は、鎌倉時代には奉納されていたとされています。
しかし、江戸末期1865年に大火で頭部以外を焼失してしまいました。
現在、私たちが目にする風神雷神像は、焼け残った頭部に新しく体を再建したものです。
⑥実は裏側にも2体の像があった!
雷門をくぐると、実は裏側にも2体の像が建っています。
門に向かって右側が金龍像(きんりゅうぞう)、左側が天龍像(てんりゅうぞう)といいます。
金龍が女性で天龍が男性の姿をしています。
金龍と天龍は、水をつかさどる龍神であり、仏教徒を守る神とされています。
浅草寺の資料によると、龍神は海の災難から人々を守る神であり、穀物が豊かに実り育つことを守る神として信仰されています。
雷門を守る神として、1978年松下グループ有志によって奉納されました。
浅草寺の雷門:日本で最も有名な提灯
大提灯は、これを語らずして雷門を語れない、というほど大切な存在です。
雷門と大きく書かれた赤い提灯の秘密を解明していきます!
⑦雷門のシンボル「大堤灯」
雷門といったら「大提灯」といっても良いほど有名な、浅草寺のシンボル的存在です。
大きな赤い提灯は、高さが3.9m、直径は3.3m、そして、重さはなんと約700kgもあります!
この大提灯は、京都の丹波地方で採れた竹で骨組みを作られています。
その周囲に畳半畳ほどの大きな和紙が、約300枚も貼り合わされています。
700kgという重さに少し納得です。
巨大な大提灯ですが、この大きさでもなんと、伸び縮みさせることができるんです!
毎年5月にある「三社祭(さんじゃまつり)」と、台風などの強風で破損の恐れがある時のみ畳まれます。
三社祭の際に畳まれる理由は単純で、お神輿が雷門を通るためです。
地元の人にとっては毎年の風物詩かもしれませんが、観光で訪れる人にとってはとてもレアな雷門の姿です。
⑧大提灯の底からパワーを感じよう
浅草寺の雷門を訪れる多くの人が見逃してしまう見事な彫刻が、大提灯の底に隠れています。
大提灯を下から見上げてみると、立派な龍の彫刻が見られます。
この彫刻は、地元浅草出身の彫刻家である渡邉崇雲(わたなべそううん)氏により彫られたものです。
10年に1度の大提灯の掛け換え時にも、この彫刻は塗り直しながら、大切に繰り返し使われています。
渡邉氏は雷門の龍の他にも、浅草寺の宝蔵門、本堂、二天門、浅草不動尊の龍の彫刻も手掛けています。
龍は、浅草寺を見守る神様のひとつとして信仰されてきました。
隅田川で仏像が網にかかった際、龍神が金鱗を輝かせて現れたという逸話があるのが由縁だそうです。
また古くから日本では、大海に住む龍は、雲を呼び雨を降らす力を持つと考えられてきました。
浅草はかつて、木造建築が密集する火事に弱い町でした。
そのため雨を降らせて火事から人々を救ってくれる龍は、龍神として崇められてきたのです。
そんな意味もあり、雷門の提灯の下には、龍の彫刻が施されているのです。
ちなみに、雷門の龍を待ち受けにすると、良いことがあるという噂ですよ☆
ぜひとも見逃さずに、龍神様からパワーをいただいてみてくださいね。
⑨大提灯は実は1つだけじゃない
赤い大提灯が有名な浅草寺ですが、実は「雷門」以外にもこの大提灯が存在します。
雷門のほかに、本堂の「志ん橋大提灯」、宝蔵門の「小舟町大提灯」、鳥居の東側にある「浅草寺二天門」の3つが存在します。
とくに浅草寺二天門は、周辺の数回にわたる戦災をまぬがれ重要文化財に指定されています。
4つの大提灯の大きさは、それぞれ少しずつ異なり、本堂にある志ん橋大提灯が最も大きな提灯です。
大提灯の違いに着目して浅草寺を訪れてみるのも面白そうですね。
まとめ
以上、浅草寺の雷門についてご紹介しました!
9つのトリビアを紹介しましたが、みなさんはいくつ知ってましたか?
雷門をもっと良く知って、浅草観光を楽しんでくださいね☆
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