こんにちは!
大学では、日本史専攻だったぴょんきちです。
今回は、沖縄にある「世界遺産」全9種類をご紹介します!
壮大なスケールのグスクと、神聖で厳かな雰囲気のある関連遺跡はどれをとっても見どころがあります。
せっかく貴重な世界遺産を訪れるなら、その時代背景や歴史を学んでから訪れてはいかがでしょうか?
歴史を合わせて読み解けば、より良い世界遺産巡りになりますよ☆
・沖縄の世界遺産:②座喜味城跡(ざきみじょうあと)
・沖縄の世界遺産:③勝連城跡(かつれんじょうあと)
・沖縄の世界遺産:④中城城跡(なかぐすくじょうあと)
・沖縄の世界遺産:⑤首里城跡(しゅりじょうあと)
・沖縄の世界遺産:⑥園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
・沖縄の世界遺産:⑦玉陵(たまうどぅん)
・沖縄の世界遺産:⑧識名園(しきなえん)
・沖縄の世界遺産:⑨斎場御嶽(せーふぁうたき)
沖縄の世界遺産:①今帰仁城跡(なきじんじょうあと)
まずご紹介する今帰仁城跡は、沖縄最大級の規模を誇る大きなグスク(城)です。
石垣は「野面積み(のづらづみ)」といわれ、最も古い造り方と言われています。
全長1.5キロにも及ぶ城壁は、ダイナミックで圧巻ですよ!
長い蛇のように曲がりくねり、敵の攻撃に太刀打ちできるよう設計されています。
冬季(例年1月下旬~2月上旬開催)には、緋寒桜(ヒカンザクラ)がきれいに咲きます。
さくらまつりの期間中は、ライトアップにより色とりどりに照らされる城壁と、ぼんやりと浮かび上がる桜の幻想的な風景を堪能できます♪
歴史
今帰仁城跡が作られたのは、13世紀頃だと言われています。
14世紀には、北山王国の国王の居城とされていました。
しかし、1416年に北山王国は滅亡し、代わって中山王の尚巴志(しょうはし)が三山を統一しました。
その後、1665年までは北部地域を管理するため、琉球王府から派遣された監守の居城となりました。
1609年に薩摩郡に攻め入られ、今帰仁城は炎上してしまいます。
以後は多くの参拝者が訪れる御嶽(うたき)へと姿を変え、後に世界遺産に登録されました。
*御嶽とは
琉球の信仰における祭祀などを行う場所。
沖縄の世界遺産:②座喜味城跡(ざきみじょうあと)
続いてご紹介する座喜城跡(ざきみじょうあと)は、美しい曲線が特徴的なグスクです。
城壁を上空から見ると、ダムのような形をしています。
外からやって来る敵を監視できるように、このような構図がとられました。
また、座喜味城跡は絶景スポットとしても知られています。
360度周囲を見渡せる高台からの眺めをたっぷり堪能できます。
残波岬、恩納村の海岸、遠くは那覇市や慶良間まで眺めることができますよ♪
冬季には、城のライトアップがされ幻想的な体験もできますよ♪
歴史
座喜味城は、1420年頃、建築家の名手であった護佐丸(ごさまる)により造られました。
これにより功績を認められた護佐丸は、読谷山の按司(あじ)として国王の琉球統一を支えるため全力を尽くします。
*按司とは
琉球時代に存在した称号、および位階のひとつ。
1945年、座喜味城は沖縄戦で、日本軍の高射砲陣地として使用されました。
その際、沖縄戦で城壁が壊れてしまいましたが、現在は一部復元されています。
その後はアメリカ軍のレーダー基地が置かれました。
座喜味城が再び沖縄に戻ってきたのは、史跡に指定された1972年のことでした。
沖縄の世界遺産:③勝連城跡(かつれんじょうあと)
勝連城跡は、12世紀頃建てられた沖縄最古のグスクです。
勝連城は、自然の断崖を利用した難攻不落の城と言われています。
「布積み」という、切石を水平に積んだ石垣は、優雅で美しい曲線を描いています。
勝連城へと続く石段を登り、最も高い位置にある「一の曲輪(くるわ)」まで到達すれば、うるま市と沖縄スカイブルーの海を360度一望する迫力ある景色が見渡せますよ!
*「曲輪(くるわ)」とは
曲輪とは、城の中心である本丸とは別に設けられた防御陣地、建造物が建てられたエリアのこと。
その息を飲むような景観から、勝連城跡は、沖縄にあるグスクの中でも高い人気を得ています。
歴史
勝連城は、14世紀頃に阿麻和利(あまわり)が居城した城として伝えられています。
阿麻和利は護佐丸を滅ぼし、さらに琉球統一をめざしました。
国王の居城である「首里城」を攻めましたが、あえなく落城し滅びました。
沖縄の世界遺産:④中城城跡(なかぐすくじょうあと)
中城城跡は、幸いにも沖縄戦での損傷が少なく、最も遺構がよく残っているグスクです。
丘の上に築かれた中城城跡から眺める景色は、自然豊かでとても美しい光景です。
歴史
中城城跡は、14世紀後半頃に中城按司(なかぐすくあじ)により、一の郭、二の郭、西の郭、南の郭の主な部分が築き上げました。
その後、1440年に築城家の名手と言われた護佐丸により、三の郭と北の郭が増築されて現在の城の形が完成されました。
勝連城主の阿麻和利をけん制するために、座喜味城主であった護佐丸が国王からの命令により移り住んだ城ともいわれています。
しかし、琉球王権を狙う勝連城主の阿麻和利に攻められ護佐丸は自害しました。
沖縄の世界遺産:⑤首里城跡(しゅりじょうあと)
首里城跡は、沖縄で最も有名な世界遺産です。
首里城跡の入口にそびえ立つ「守礼門(しゅれいもん)」は、2,000円札に絵柄を起用されています。
ガイドブックなどで目にすることが多い朱色の建物は、「首里城正殿」といいます。
正殿の前には、首里城の中心部となる「御庭(うなー)」が広がっています。
そして、この御庭を囲むように正殿から向かって南側に「南殿」、左側に「北殿」があります。
これらは、沖縄戦ですべて焼失してしまい現在ある建物は復元されたものです。
歴史
首里城は、1429年から1879年までの約450年間、琉球王国の国王の居城でした。
琉球王国は、尚・巴志王(しょう・はしおう)が北山・中山・南山の三山を統一しはじまりました。
琉球の政治、外交、文化の中心として栄え続けました。
琉球王国が沖縄県になったのち、1879年に日本軍の駐屯地や学校として使われるようになりました。
しかし、1945年の沖縄戦でアメリカ軍の攻撃により、建物を含め辺り一帯は焼け野原となってしまいました。
その後、首里城跡は琉球大学のキャンパスとなります。
琉球大学の西原町への移転に伴い、1992年に国営公園として復元され今のかたちになりました。
沖縄の世界遺産:⑥園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
園比屋武御嶽石門は、首里城内の守礼門の先にある琉球石灰岩でできた石造りの礼拝所です。
「園比屋武御嶽石」は、その奥にある森を指します。
園比屋武御嶽石門は、門の形をしていますが御嶽(うたき)としての役割をはたしていました。
首里城とその周辺にある御嶽は、特に格式が高いとされています。
琉球王国が各地を巡る際は、必ず園比屋武御嶽石門を訪れて安全を祈願していました。
祈りの場として重要な役割を担う園比屋武御嶽石門は、今でも地元の人が祈りを捧げる神聖な場所です。
歴史
園比屋武御嶽石門は、1519年第二尚氏王統の3代目・尚真王(しょうしんおう)の時代とされています。
1933年には、日本国の旧国宝にしていされていましたが、沖縄戦で大破してしまいました。
その後、1957年に復元され1986年に完成しました。
沖縄の世界遺産:⑦玉陵(たまうどぅん)
玉陵は、首里城から歩いて約4分の場所にある、琉球国(第二尚氏王統)の陸墓です。
玉陵の屋根には、シーサーが3体置かれ陸墓を見守っています。
3つに分かれた墓室は、周囲を石垣に囲まれています。
創設当初は東室に洗骨後の王と王妃を、西室に玉陵碑に記される限られた家族が葬られていました。
中室は、洗骨前の遺体を安置しておく場所とされていました。
歴史
玉陵は、琉球王国の尚真王(しょうしんおう)が父・尚円王(しょうえんおう)の遺骨を改葬するために築かせた陵墓です。
その後、第二尚氏王統の陵墓となりました。
玉陵は、沖縄戦で大きな被害を受けました。
1974年から3年余りの歳月をかけて修復工事が行われ、もとの姿を取り戻して今日にいたっています。
沖縄の世界遺産:⑧識名園(しきなえん)
識名園は、琉球王家最大の別邸でした。
国王一家の保養や、中国からの使者をもてなすために利用されてきました。
識名園の特徴は、日本ならではの「廻遊式庭園(かいゆうしきていえん)」を取り入れていることです。
廻遊式庭園は、日本の大名が競って作ったことで知られています。
その形式は、池のまわりを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的としています。
そこに中国風のデザインを取り入れた石橋や六角堂などが随所に置かれています。
はるか昔から、中国と良好な関係を築くために交流を図ってきた琉球王国ならではの庭園です。
識名園は、迎えた客人に庭を楽しんでもらうための一風変わった工夫にも注目したいところです。
沖縄市を見晴らす観耕台(かんこうだい)は、あえて海が見えない作りになっています。
これは、琉球王国を大きく見せる工夫だと言われています。
また、S字カーブにつくられた石畳があります。
これは目の錯覚を利用して、客人が実際以上に広い庭園だと感じるようにつくられています。
歴史
識名園は、琉球王家最大の別邸として、1799年に創設されました。
しかし、1945年の沖縄戦で日本軍の弾薬庫として利用されていた識名園はほぼ全壊しています。
現在ある識名園は1975年から約20年かけて再現されたもので、建物としての歴史は古くはありません。
沖縄の世界遺産:⑨斎場御嶽(せーふぁうたき)
最後にご紹介する斎場御嶽は、首里城と並んで人気の世界遺産です。
さらに、神聖なパワースポットのひとつでもあります。
斎場御嶽は、原始の森にあり、神秘的な雰囲気に満ちています。
沖縄の神人(かみんちゅ)や、深い信仰心を持つ方々にとっては、今でも大切な祈りの場でもあります。
斎場御嶽には、全部で6つのイビ(神域)があります。
最も有名なのは、「三庫理(さんぐーい)」です。
2本の巨大な鍾乳石が互いに支え合い、三角形を描いています。
その迫力とピンと張り詰めた神聖な空気に、特別なものを感じるでしょう。
左右の石は、バランスよくそびえ立つことから、「安定の場所」といわれています。
この三庫理を抜けると、「神の島」ともいわれている久高島(くだかじま)が望めます。
国家的な祭事には、この久高島から聖なる白砂をわざわざ運び入れ、それを斎場全体に敷きつめました。
歴史
琉球神話の創世神、「アマミキヨ」が造ったとされる琉球王国最高の聖地です。
1945年、斎場御嶽がある知念地区一帯は、アメリカ軍の激しい艦砲射撃を受けました。
1994年から修復工事が始まり、のちに世界遺産に登録されました。
その時、艦砲射撃でできた穴に水がたまったものが「砲弾池」です。
当初は3mほどの深さがありましたが、現在では60cmほどに浅くなっています。
まとめ
以上、沖縄の世界遺産9つをご紹介しました。
後半4つの関連遺跡は、琉球王国の国王が住んだ首里城の関連遺跡です。
関連遺跡に訪れる際は、ぜひとも首里城も合わせて訪れることをおすすめします。
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